[想いの雪]
真っ白な雪のように、
心に積もる想いが、
ある
「…もと、ちか?」
寝起きの舌足らず気味な声が確かに一緒に就寝した筈の愛しい人の名を呼ぶ。
存在を確認しようと伸ばした腕に期待した感触を得る事は無く、既に体温さえも消えている自分の隣りに気付いた。
「…?」
厠だろうか、と一瞬思ったが恐らく違う。
完全に彼の体温が消えている布団の中は随分長い時間其処に彼が居ない事を告げていた。
直ぐに身を起こし躊躇い無く布団から起き上がる。
我ながら彼の事となると冷静さなど何処へやら。
「coolじゃねぇな」と一人ごちて室温の低さに身震いした。
恐らく雪が降っているのだろうと思った。
ならば尚更早く恋人を見付けねばなるまい。
外の明るさから見てまだ時刻は卯の刻辺りだろう。
愛すべき彼の人は寒さに弱い。
奥州が雪で閉じる前に
「会い貯めだ」
と言って来てくれたのだが完全に冬が到来する前とはいえ彼の住まう地方に比べたらやはりここは生半可な寒さではないだろう。
「まったく心配掛けやがって」
本当は心配する必要など無い事は判っている。
奥州の人間は彼に好意的だ。
もしかすると厠に起きた彼の姿を見付けた者がそのまま話し込んでいたりするのかもしれない。
でも何だか癪じゃないか。
折角自分を訪ねて来てくれているのだ。
寝起きに最初に見る顔は彼が良かった。
「見付けたら覚えてろよ…」
全く以って子供のようだと何処かで思いながら羽織を纏って戸を開けた。
視界に飛び込んで来たのは白い世界。
政宗はついその場に立ち尽くす。
それは目にした光景が余りに美しかったからだ。
見慣れた雪景色が、ではない。
雪が舞い落ちる庭の中心で空を見上げる彼が、
元親が余りにも美しくて。
雪国の人間も顔負けの白い肌を持つ彼はその滑らかな銀糸の髪と相俟ってともすれば時折とても儚く見える事がある。
「お前ぇは詩人だなァ」と人好きのする顔で彼は笑ったが冗談などでは無いのだ。
瞬きをした次の瞬間、其処から居なくなっているのではないかと、漠然とそんな不安に駆られる危うい美しさを彼は垣間見せる。
まさに今のように。
「……」
だが政宗の唇から言葉が滑り出す事は無かった。
それこそその空間を壊した瞬間、彼が消えてしまいそうで。
ふ、と。
空を見上げていた彼がその首を下ろした。
「まさむね」
と耳に馴染んだ声が己を呼ぶ。
やっと、許されたような気がした。
音を紡ぐ事を。
「アンタ…んな雪の中で何やってんだ」
半ば呆れたように言ってやれば彼は微苦笑を浮かべた。
「あー…悪ィ」
「それだけかよ」
庭に下りて距離を詰める。
駆け寄りたいくらいだったがぐっと堪えた。
惚れた相手には余裕を見せたいものじゃないか、なんて変な所で冷静だったりして。
ばさりと、自分の纏っていた羽織をその身に掛ける。
指先に触れる彼の体温は冷え切っていた。
「ったく風邪ひいたらどうすんだ?
アンタは風邪ひきにうちに来た訳じゃねぇだろう」
「ああ。お前に会いに来たんだぜ?」
にっと今度は人の悪い顔で笑む彼に肩の力が抜ける思い。
「だったら…」
「あんまり夜明けの雪が綺麗だったもんでよ。
それに」
「An?」
「冷えたらお前に暖めてもらや良いしな」
嗚呼。
さらりと、
ごくさらりと何という爆弾を落とすのかこの男は。
ついぞさっき冷静だった自分は何処へやら。
気付くと思い切り彼の身を抱き締めていた。
「…なー政宗」
「んだよ。
離さねぇぞ」
「おう。むしろ離すな。
あったけぇし。
あのな?」
「Yeah」
「人の心にも雪みてぇに積もる想いがあると思うか?」
「なぁ、詩人はアンタの方だぜ元親」そう思ったけど言わなかった。
「あるんじゃねぇのか」
そこまで間を開けずに答えれば何処と無く不機嫌になった気配。
どうやら答えを間違えたか。
いや多分違う。
ふいと腕を外され彼の身が擦り抜ける。
その後ろ姿を追って背後から再び抱き締めれば非難の声が上がるより前に耳元で囁いてやった。
出来るだけ低音で。
出来るだけ真摯に。
「きっとあると思うぜ?
証明は出来無ぇが俺の胸にはアンタへの想いが積もり続けてるよ」
微かに、彼の身体が震えた。
今度は合格点だったらしい。
「…俺はな、昔はそんなモンは信じちゃいなかったんだ」
ぽつりと彼が言った。
まるで独り言のようなそれに相槌は必要無いと判断して黙って続きを待った。
「だってそうだろ?
政略や人質としての輿入れなんかが当たり前に蔓延ってるこの時代だ。
目に見えねぇ物に価値なんかねぇ。
ずっとそう思ってたんだ。
…でも違った」
そこで一度言葉は切れた。
一呼吸して続けた。
「…今俺の中にはお前への積もる想いで溢れてるから…」
消え入るような声色だったが一言一句洩らさずその言葉は確りとこの耳に届いた。
心に届いた。
鼓膜を震わせ心を震わせこの魂までもを震わせた気がした。
「Ahー…
今なら空も飛べる気がする」
一際腕の力を強くして顔を埋めれば「ばか」と照れ臭そうな声が聞こえた。
暫くして「そろそろ戻るか」と彼が言ったので名残を惜しみつつ腕を外すとするりと指が絡め取られた。
驚いて彼の顔を見ればニヤリと口角を上げて一言。
「暖まる時間はあるかい?」
時折酷く純粋で
時折酷く妖艶で
時折酷く儚い愛しい人。
戸を閉める寸前、
「積もり過ぎて雪崩がおきたらどうするdarling?」
と揶揄ったら
「そん時ゃ二人揃って遭難だ」
と迷いの無い返事が返って来た。
ああそうだな。
アンタとなら…
政宗の顔に、ひらりと雪が舞い落ちた。
それでふと目を開ける。
頬に手をあてて、自分が泣いていることに気付いた。
子供のようだと思った。
空を見上げる。
いつの間にか雪が降ってきていた。
白い白い雪。
ひらひらと積もる、雪。
こんな風に、
心に積もる想いがある。
今も、
ずっとずっと遠い未来までも。
貴方を失った今でも。
積もっていく、想いが。
今も心の中にある。
『雪』
決して溶けることのない、
永遠の『雪』。
貴方の心の中にも、
積もっていてくれているだろうか。
いつか俺が逝く日まで。
「…元親…」
呟いた言葉は、
白い跡を残して消えた。
まるで、雪のように。
彼の微笑を思い出して、
その面影を求めるように手を伸ばす。
きっと積もっていてくれるだろう。
きっと。
伸ばした手を握り締めて、
もう一度愛しい人の名を、
呼んだ。
fin
物凄く久し振りに文を打ちました。
多分凄く稚拙で読み難いとは思うんですがそこよりも謝るべきは死にネタで申し訳有りまっせん!
昔から目指しているのは何とも言えない読後感なんです。
少しでも何とも言えない気持ちになって頂けたなら嬉しいです。
しかしこの話物凄く昔考えた話が元となっています。
殆ど違うんですけど。
あと季節外れで申し訳無い。
本当は本にしようかなーと思ってたネタだったんですがすっかり時期を逃がしたので。
20080320
BaCk